1月11日の朝日新聞に
【ペット治療ミス、賠償金高額化 裁判所「強い愛情」認定】という記事が載りました。

今まではペットは「生き物」ではなく「物」として扱われて来ましたが
「我が子同様に可愛がり、強い愛着を抱いていた」
「家族の一員というべき存在」
「家族にとってかけがえのない存在になっていた」
などの理由から飼い主の精神的苦痛を認める事例が増えてきたというものです。


動物と一緒に暮らす者としては喜ばしいことですが
一方では、リスクを嫌がる獣医師が増えはしないかと
少し心配にもなります。

現在でもシマリスを診られる医師は少なくて、「診られます」
と言ってても実は触れもしないというケースは論外として
「慣れてないけど診てみましょう」というケースが減って
しまわないかと気になります。それが良い結果になるか
残念な結果になるかはケースバイケースではありますが…

知識も経験もないのに無茶をしろと言うのではなく
明らかに誤診だとか、薬の種類や量を間違えた等は別として
病院には治療に対しての医師と飼い主の相互理解の上、最善な
治療法でベストを尽くして貰いたいです。
それが動物と飼い主にとって一番ではないかと思えます。


これから裁判員制度が始まれば、もっと記事のようなケースが増えることでしょう。
ペットに関する法の改正がなされ、医療以外のトラブルでも「物」では
なく「命あるもの」として扱われる日がいつか来て欲しい。
そして、イギリス、アメリカ、アフリカにあるような動物警察が
飼育放棄や虐待に対して強制力を以て処罰できる環境が日本にも
整って欲しいと思います。


*追記はリンク先が消えた時の為に新聞記事全文が載せてあります

 犬や猫などペットの医療過誤をめぐる訴訟で、敗訴した獣医師側が飼い主に支払う損害賠償が高額化している。昨秋言い渡された東京高裁の控訴審判決では、慰謝料が一審の倍額となる40万円になった。最近の判決では、ペットを家族同然にかわいがる飼い主の「愛情」を反映させた内容も多い。専門家は「訴訟に向けた飼い主の相談件数は年々増えている」と話す。

 「我が子同様に可愛がり、強い愛着を抱いていた」

 東京高裁で昨年9月にあった控訴審判決で大坪丘裁判長は、原告である神奈川県二宮町の主婦(45)の愛犬ミニチュアダックスフント「桃子」への思いをこう認定した。

 主婦は桃子が02年に診断ミスで適切な治療を受けられず死にかけたと訴え、判決は、約400万円の請求に対し、慰謝料や入院費など計約63万円の賠償を横浜市内の動物病院に命じた。桃子は07年1月に死んだ。

 判決は病院側の過失を指摘したうえで、主婦が設備の整った環境で治療するために自宅から離れた病院に通ったことも考慮、慰謝料を一審横浜地裁判決の20万円の倍となる40万円とした。主婦側によると、病院側は判決を不服として最高裁に上告した。病院側は「係争中で答えられない」としている。

 ペットの医療過誤訴訟は1970年前後から起こされている。68年5月には飼い犬の出産による死亡を巡る訴訟で、東京地裁が飼い主の財産的損害と精神的苦痛の慰謝料として、獣医師に5万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。

 ペットは法律上は「物」扱い。ただ、近年はペットを家族同様にかわいがる人が増え、ペットの購入価格も上昇した。「飼い猫は家族の一員というべき存在」(02年3月の宇都宮地裁判決)「夫妻にとってかけがえのない存在になっていた」(04年5月の東京地裁判決)など飼い主の精神的苦痛を認定する判決も少なくなく、損害賠償は高額化。ここ数年は顕著で、数十万〜数百万円に上る判決も出るようになった。人の医療過誤と同様に獣医師が死因鑑定をする訴訟もある。

 ペット訴訟を多く担当する渋谷寛弁護士によると、相談がほとんどなかった10年前と違い、今は年間10件以上の訴訟相談があるという。渋谷弁護士は「『番犬』というイメージは昔の話。飼い主の『愛情』と精神的苦痛の大きさを認める判決が増えているのは時代の流れからいえば当然だ」と話している。(長野佑介)